東京オリンピック、外から観るか?中から観るか?
あなたは東京オリンピックのボランティアをやりたいですか?
やりがい搾取だ、ブラックボランティアだ、やるやついないだ、色々いわれていますが。
実は、わたくし東京オリンピックのボランティアに応募しました!
まぁ抽選なんで、やれると決まった訳ではないんですけどね...
当たれ~............どんっ........
人生で何に比重を置くかによって、ボランティアに対する見解は違ってきそうですね。
そもそも私は、お金なんかいらないと思っています。
あっ、ボランティアにじゃないですよ。
この世の中にです。
お金という概念は、この世界に必要ないと思っています。
むしろ、ない方がいい。
ボランティアで交通費すら出ないとか言われていますが、
そもそも、交通費はタダでいい。
あっ、ボランティアの交通費じゃないですよ。
この世の中のです。
というか、全てタダにしましょう。
お金と仕事があるから全てがおかしくなるのです。
例えば、世の中に仕事がなかったとしたら...........
東京オリンピックのボランティアは長蛇の列でしょう!
爆売れ!!!
はい!
やりたい!
やらせてくれ~!!!!!
つまり、東京オリンピックのボランティアには価値があるんです。
間違いなく!
人生におけるあらゆる体験のなかで圧倒的に価値がある。
そんな価値がある体験に飛びつかない社会を憂いているのです。
いや、飛びつけない社会を嘆いているのです。
なぜそんな社会なのか...........
それは生きるためにお金が必要だからです。
生きるためにはお金が必要で、お金を貰うためには仕事をしなくてはならなくて、仕事で忙しいんだから、お金にならないボランティアに貴重な時間を使ってる余裕なんてないし、会社に迷惑をかける事はできないからです。
.............と洗脳されているからです。
思うに、全ての仕事をボランティアにして、誰もがやりたい事をしながら、人の役に立つ事で助け合っていく社会の方が絶対的に楽しいし正しい。
固定概念を取っ払い、本質をみれば多くの仕事に価値がない事は明らかでしょう。
多くの仕事は、いわば穴を掘って穴を埋めて帰る仕事です。
テクノロジーがこれだけ進化し、生産性が向上している今、一人一人に意味のある重要な仕事が残っている方がおかしいのです。
それでも洗脳教育で、それを善とする老害によって、新たな奴隷が量産されています。
この負のスパイラル!!!
今こそ断ち切らねばならない!
断ち切らねばならぬ!!!
義務教育から洗脳されているのです。
常識のレールに幸せの概念を決められています。
幸せとは何でしょうか?
人生とは何でしょうか?
人は他人を喜ばせるために生きている。
アインシュタインの言葉です。
人間の欲求には、人の役に立ちたいというものがあります。
ただし、自分を犠牲にしてはいけない!
他人を喜ばせるためには、まず自分自身が楽しむことです。
自分も幸せにしながら、他人も幸せにする。
つまり、好きなことをしながら、人の役に立てることをしていくのが人生なのです。
今の世の中、人生の大半を仕事に奪われています。
ツライ仕事をして、お金をもらうのが幸せなのでしょうか?
仕事はツライものという洗脳をときましょう。
ツライ事をしたら頑張った気になっていませんか?
現実は、ツライ思いをしたに過ぎません。
それだけです。
良薬口に苦しが、いつの間にか口に苦いものは良薬だと誤解しはじめる。
仕事に価値があると錯覚してしまう原因はそこにあります。
これだけ大変な思いをしたんだから、世の中のためになっているだろうと。
残念ながら、実際は何の意味もない穴を掘っただけです。
しかし老害からの要求は留まることを知りません。
まず穴の掘り方を指摘されます。
もっとこうだ。腰を使え。手首のスナップだ。
さらには、穴の角度、土の種類、石との比率、掛け声、発声練習、役職決め、スコップの保管場所の徹底、チェックのチェック、スコップから手を滑らせた時の再発防止策、朝礼、会議など..................
終わりはありません。
どんどん深いところまで落ちていきます。
もはや何で穴を掘り始めたのかも、わかっていません。
それでも大変な思いをしたから、今日も頑張ったな!お疲れ~
というのが多くの仕事です。
お金は目的ではなく手段です。
手段さえ乗り越えれば、お金は必要ないという事です。
全てがボランティアであれば、お金はいりません。
私達は往々にして、必要のないものを欲しがる癖があります。
広告が私達を消費者にするのです。
そして、持ってるものが自らを束縛します。
所有することで選択肢を狭めているのです。
お金を目的にしていては、それ以外の選択肢は閉ざされます。
仮にお金から解放されれば、仕事の概念は全く変わります。
無駄な事、やりたくない事はやらなくて良くなります。
本来、それで成り立つ社会なのです。
AIの発達により大抵の労働はロボットで代替可能になります。
今そうなっていないのは、人間が雇用を守るために生産性を抑えて、無駄な仕事をしているからに他なりません。
高度成長期を乗り越えるために、我慢を美徳としてきた負の遺産でしょう。
そんな時代はもう終わりです。
平成から新たな年号に変わろうとしている今、文字通り時代が変わるのです。
これからは雇用を守る必要はなくなります。
人間は自分の時間を生きるべきです。
私達の仕事はAIによるロボットが、私達よりも迅速かつ的確に遂行してくれます。
文句を言わず我慢してコツコツやる作業は、ロボットの最も得意な分野です。
そんな時代にAIから仕事を守ろうとする人は、例えるなら人間なのに洗濯機になろうとしている変わった人です。
洗い物は洗濯機に任せて、人間は自分の時間を生きるべきです。
もし奇跡的に洗濯機になれたなら、その人は人間としての他の選択肢を失っているでしょう。
人間が洗濯機になるのは、ムダでしかありません。
AIに対抗するのは、それと同じことです。
結局は自己満足なので、ムダなことを頑張るのはやめて、社会に意味のあることをしましょう。
社会貢献がしたい。
そこには仕事も、お金の概念もありません。
純粋な人間の本能です。
お金と仕事の概念がなくなる事で、人間が自分の時間を生きる基盤が出来上がります。
仕事がなくなり、人間本来の人の役に立ちたい欲求が、行き場を失いウズウズしています。
一度きりの人生で、自分の時間を生きましょう!
他人を喜ばせるために。