リアルの世界では坊主にするだけで炎上する。
令和を迎えて私は坊主にした。
理由は単純に面倒くさいからだ。
髪を洗い乾かし、セットする。
髪が乱れれば整え、髪型を気にする。
そういった煩わしさから解放されたかったのだ。
坊主への衝動は今までに何度もあったし、潜在意識では常にあった。
では何故そうしなかったのか?
それは、周りの目を気にしていたからだ。
悪い事でもなく、誰に迷惑をかけるでもない坊主が、誰かもわからない人の目を気にして阻まれていた。
それはいかん!
元号が令和に変わるタイミングも背中を押し、私は遂に踏み切る事が出来た。
ある意味、度胸試しのようでもあった。
令和の時代をやりたい事をやって生き抜いていく覚悟を坊主に込めた。
めでたしめでたし.........
とはいかない(笑)
だから今ブログを書いている。
坊主にして、初めての職場で、友人との飲み会で、あらゆる場面において.....
この社会は同調圧力に支配され、レールを外れる者を叩き、自分を正当化するドリームキラーで出来ている事を思い知らされた。
私が漠然と感じていた周りの目とはこのことだったのだ。
私の坊主頭を見ると皆が決まって、どうしたの?何かあったの?と聞く。
疑問に思うのは分かるが、上記の理由を話しても何故か理解されない。
理由は何であれ、突然坊主にする事は敷かれたレールの上を歩いてきた庶民にとっては理解不能な奇行でしかないのだ。
どうやら、成人男性が突然坊主にするという荒業は庶民の辞書には載っていないらしい。
つまり、成人男性が突然坊主にしてはいけないという同調圧力がこの社会には存在している。
その同調圧力が坊主に対する抑止力になり、ありきたりな髪型を量産させるメカニズムとなっている。
仮に私が坊主にするかどうか庶民に相談したとしよう。
その庶民にとっての正義は普通の髪型であり、坊主は謝罪か、出家、軍隊、甲子園に行くなどの、何かしらの理由がある時にするものなのだろう。
そう義務教育で習ったのかもしれない。
常識なんてものは、誰かに都合よく作られたものだ。
常識を盲目的に信じる庶民が、出る杭を打ち、ドリームキラーになっている。
よって、ドリームキラーの言う事を聞いてはいけない。
坊主の話から飛躍してきてしまったが、ドリームキラーの存在が、私たちのチャレンジ精神を奪っている。
成功、失敗の概念ではなく、挑戦している人を応援できる社会になってほしい。
その為にも、自分を信じて正直に生きたい。
均一化された世界では、ちょっとの勇気で私たちは出る杭になれる。
ひとつの行動で世界は変わって見える。
実はみんなも出る杭に憧れていたりする。
だから大丈夫。
庶民のシュートもいいけど、やっぱりスラムダンクを決めたい。